久しぶりに会ったら、心がほどけた
先日、前の職場で一緒に働いていた年下のスタッフたちと、久しぶりに食事をしました。
当時からずっと尊敬していた2人。仕事ができるのはもちろん、いつもまわりを気づかっていて、でも自分の芯はしっかり持っている。そんな姿勢が、本当に魅力的でした。
“気をつかわせてるかも”病
私の中にはずっと、「年上の私に気をつかってくれているんだろうな」という思い込みがありました。
相手の優しさや関心も、「礼儀の一部」として片づけていたところがあって。
気をつかわせてしまっているのかもしれない、そう思っては、少し心に距離を取ってしまっていた気がします。
本当に見えていなかったのは、自分のほうかもしれない
でも、ふと気づいたんです。
もしかしたら、私のほうが、彼らの思いや眼差しをちゃんと見ていなかったんじゃないかと。
礼儀でも気づかいでもなく、ただ「人として」向き合ってくれていた2人のことを、私はちゃんと受け止めていただろうか――と。
「上下」で測るには、あまりにもまっすぐな優しさ
年齢とか、立場とか。
そういうもののフィルターを通していたのは、きっと私のほう。
彼らは最初から、そんなことは気にせず、まっすぐに人と向き合える人たちでした。
信頼って、受け取ってはじめて“通じ合う”
相手からの信頼や思いやりは、ただ差し出されるだけでは育たない。
それを、素直に、誠実に、受け取る勇気があってこそ、関係は深まっていくのだと思います。
あの日の時間が、そんな大切なことを教えてくれました。
思い込みのフィルターを、そっと外してみる
これからは、自分の中にある「こう見えているかも」という思い込みを、少しずつ手放していきたい。
相手の気持ちをまっすぐに受け止めて、そして自分自身の気持ちにも、もう少し正直になってみようと思います。
出会いは、きっと、自分を映す鏡のようなもの
昨日の食事は、思いもよらずただの食事ではなく、思い込みの自分に気づかせてくれる“鏡”のような時間でした。
年齢や肩書きに縛られず、人と向き合っていくこと。
そして、人の優しさを受け取る勇気を持つこと。
それが、私にとってこれからの人間関係をつくっていく土台になっていくように思います。
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